庄内金魚の故郷で知られる庄内町西袋で長年、庄内金魚保存会に携わっておられた故成澤孝雄氏より由来に関する記述を承っていたので書き留めておきます
「庄内金魚」の生みの親は隣村大野の、時の先覚者であり篤農家であった阿部治郎兵衛氏
である、金魚との出会いは、遠く明治初年にさかのぼる、阿部家が伝えるところによれば、
明治七年に所用で左沢(現在西村山郡大江町)に行った折に、金魚養殖場を訪ねられる機会が
あり金魚の美しさに魅せられて、譲り受けて持ち帰り養殖に着手したのであった、これが
庄内に金魚が入った最初である、以来三代にわたって鋭意努力されること、およそ五十年、
大正十二年に至って念願の選抜固定に成功した。
「庄内金魚」誕生までの主な経過として
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大正七年 在来種とオランダ獅子頭の交配に着手
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大正十二年 「庄内金魚」の固定に成功
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大正十五年 「庄内金」と命名する
「庄内金魚」か「庄内金」か
大正十二年に選抜固定に成功し、三年後に同十五年に「庄内金」と命名したと
(阿部覚え書き)にある、たぶん我が国の代表品種「和金」「琉金」「出目金」などが「魚」
を付けないで呼ぶので、それにならったのであろうか、しかし後年、県外や海外に
輸出したときは「庄内金魚」として扱った。
系統と特徴について
「庄内金魚」の創出には、もう一つの流れがあったことが知られている、酒田市本楯庭田の
伊藤卯之助氏と同市泉町の早藤鉄蔵氏のグル-プである庄内に導入したのは、阿部治郎兵衛氏
であったが後年それから分譲を受け、そしてお互いに交流しながら品種改良にしのぎを
削ったのであった、同じ「庄内金魚」とは言いながら、細部を比べると、多少の違い
が認められる。
阿部系は{在来種(和金)×オランダ獅子頭}で交配に着手、雄魚で老成(10年ほど)すると
頭部に肉瘤が出てくることがある、体色は鮮やかな赤色。
伊藤系は{在来種(和金)×琉金}で交配に着手、頭部に肉瘤はなし、特に尾が幅広く長い
体色は鮮紅色である。
両系共体型は和金型で胴長、フナ尾である、コメットに似ているが体高があり
尾の張りが強くない、コメットに比べふっくらと丸味を持ち、尾は年を経るほどに伸長して
体長の倍以上になる、老成になるほど尾は垂れ下がってくる、伊藤系は著しく尾が伸長して
振袖金魚とも称される、体色は赤色か更紗模様で、赤色が側線より上で上見鑑賞にと作った。
現在は両系の改良を取り入れた形態で色調は更紗を主体として以前は上から見ての鑑賞する
庄内金魚を水槽飼いの鑑賞にも適した側線より下がった変化に富んだ鮮明な赤色の金魚を作り
出している、季節風の厳しい北国の産なので耐寒性に富んでおり大変丈夫である。